しっかりした人

規律を守るのが当たり前って校風の中学教師や、私の家族は、私のことをしっかりした人だと思っていたし、そう言っていたようです。

しかし、私にその要素はあるものの少しだったようです。

むしろ、そういう役割は鬼門なのに、期待に応えようとして疲弊していた、

家族はしっかりしていない私をみて、「しっかりしてなければ生きていけない」みたいに言うという、なんだこの地獄絵図。

 

そんな家族も、重要書類の置き場を決めていなくて何度か紛失していたり、片づいているようで散らかっている環境に身をおくことを強要しているという、歪みはでていますが。

(家族の中で、私が一番、重要書類関係の紛失は少なかったという皮肉。)

 

周りからいわれる自分像は、その人たちにとって都合のよい自分像でもあるのだなと、つくづく思いました。

 

逆に、高校の時は、そんな厳しめな校風とは真逆で、しっかりしてなきゃと思った私は戸惑いましたが、今思えば、「しっかりしなさい」って言われたことはあまりなかったと気がつきました。

環境や、相談する人に合わせた話、意見は情報としてひとまず処理しておく、って大事。

 

とりあえず、人の分までしっかりすることは私には無理なので、適度に社会に関わっていけたらって感じでいきたいです。